Inugami's blog

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犬上です。極まれに何か書いたりします。

あゝ、稲田姫様(後編)

 

※この記事は、サークル「東大幻想郷(以下、GUT)」の、アドベントカレンダー2020内の記事の1つとして書かれたものです。

東方Projectが分からない知人向けに最初の方に脚注が入っています。ご存じの方は特に脚注はスルーしていただいても多分大丈夫です。

※前編にはコロナ禍等における暗めの話が入ります。もしかしたら、人によっては読み飛ばしていただいた方が良いかもしれません。

 

初めに

 

皆さん、こんにちは。

あるいは、初めましての方も多いかもしれません。犬上と申します。

 

突然ですが、タイトルを見て、皆さんはどのような記事を想像されましたか?

 

恐らく、東方サークル[1]アドベントカレンダーだし、タイトルに「稲田姫様」と入っているので、秋姉妹[2]関連で何か書くのか。

あるいはGUTというサークルには、東方原作[3]に関して大量のスコアタ[4]勢やルナシューター[5]が存在するので、原作の風神録関連で何か攻略法とかの話だろうか、と思われた方も多かったのではないかと思われます。

 

ですが、今回の御話は残念ながら秋姉妹関連では無く、それどころか原作関連でもありません。

どちらかというと、ちっぽけではありますが、人生とか、信仰とかの話になります。

 

 

ただ、今週はキャパシティを完全にオーバーして深夜5時とかまで起きていたりした日があるような状態だったので、少し書くのが遅くなってしまいました。

なので本日、19日当日の午後になってもせっせと記事を書いていたのですがようやく気づいたのです。

 

あれ、これ前置きが長すぎて書き上がらないうえに、23日の枠に前編だけで分割してもタイトル詐欺になりそうじゃない???

 

ということで、思い切って逆張りをして、いっそ後編から公開してもらうことにしました。

経緯の説明とかはあるとより話が分かりやすくなるとは思うのですが、元から話の接続が悪くて無くても影響が小さそうですし、脚注も入れたので多分大丈夫だと思います。

楽しく読んでいただけましたら、幸いです。

 

前編はこちら

inugami1900.hatenablog.com

 

 

 

 

 

 

3.5.前編のまとめ

 

 

この夏、コロナの猛威が世間を覆う中で、人生において幾度目かの「その時一番の挫折」を迎えて精神的に追い詰められた著者は、やがてその状況から自らの心を救うために精神医学や心理学的な教養を学び始めます。

そして、その中で「ストレス」への対処に良いとされる対処法等を学んでいくのですが、その中には「散歩」や「瞑想」「自らの思いを吐き出すこと」等がありました。そして、著者は自らが取っていた行動の1つである「神社への参拝」が非常に当てはまっているのではないかと考え始めます。

 

 

 

 

 

 

4.稲田姫様って?

 

突然ですが、そもそも「稲田姫様」について皆さんはどのくらい御存じですか?

 

繰り返しになりますが、この文章を読んでいらっしゃる方には、東方Projectに関しての知識はそれなりにある方もいらっしゃるとは思います。

なので、そういう神様が存在するということは、「稲田姫様に叱られるから」において認識している方も多いかもしれません。

 

ですが、「稲田姫様」と言われた時に、その神様が日本神話上でどの位置に置かれどのような神様であるかを即答できる人は、意外と少ないかもしれません。

 

では、「稲田姫様」とは一体何者なのか?

 

答えは、「クシナダヒメ」様です。

稲田姫命は、櫛名田比売様の別名になります。ここまでくれば、3分の1くらいの方は思い出されるのではないでしょうか。

 

一方で、残りの方々には「いや、名前だけ変えられても分からないんだけど…。」という感じかもしれません。しかし、そのような方にも一発でご理解いただけるキーワードがあります。

 

ヤマタノオロチ」です。

ヤマタノオロチが世間的にどのくらいの認知度をほこっているかは不明ですが、この日本神話上に歴然たる輝きを放ち、絵本にもなっているほどの8本頭の怪物を御存じでない方はそんなにいらっしゃらないと思われます。

 

そんなヤマタノオロチを退治した英雄の名前は「須佐之男命」、つまりスサノオであるのですが、話には他にも彼に生贄として差し出すはずだった娘を救われた一家が登場します。

ヤマタノオロチ伝説を思い出していただくため、念のためにストーリーをなぞり直してみましょう。

 

問題行動の数々から高天原を追い出されてしまったスサノオノミコトが下界に下って途方に暮れるなか、村を探してたどり着いたところで泣いている一家を見つけます。

アシナヅチテナヅチの夫婦です。

スサノオノミコトが何故泣いているのかを問うたところ、夫婦は毎年ヤマタノオロチという怪物に娘を生贄として貪り食われており、今年はついに末娘を差し出さなければいけないと言います。

 

スサノオノミコトはそれを聞いて、自らが娘を妻とするのを条件にヤマタノオロチの退治を引き受けます。そして娘を櫛に変えて自らの頭に刺し、一計を案じて酒を持ってヤマタノオロチの所に行って酒を飲ませます。そして、酔いつぶれたヤマタノオロチの8つの頭を切り落とし、ついに退治したのでした。めでたしめでたし。

 

ここまでくればもう御わかりでしょう。

そう、この娘こそがクシナダヒメ様です。

 

8つの頭を切ったら草薙剣が出てきたとか、実はテナヅチアシナヅチオオヤマツミノカミの子供で意外と由緒正しい家系だとか色々あるのですが、一番重要なのは、稲田姫様がスサノオノミコトの妻であるということです。

(実はここに関しては微妙に諸説あるのですが。)

 

つまり。稲田姫様にお目にかかりたい。

そう願ったときは、スサノオノミコトをお祭りしている神社を探せば、実は御祭神の二番目にシレっとお名前があったりします。

 

そして、犬上の家の近所には何社か神社があるのですが、その中でも特にアクセスが良くて御世話になっている神社が2社あります。

 

そのうちの片方、いわゆる土地の神様がお祭りされている氏神神社の神様は別の神様なのですが、もう1つの、超難しい言い方をすれば崇敬神社にあたる神社の方が、スサノオノミコト稲田姫様を祭っているのです。

 

(更に面倒くさい話をすると、一番初めは氏神様とは一族で祭る神様のことであり、自らが生まれた地を守護して一生をお守りくださる神様は産土神様で、さらに言えば産土神様と現住地を守護されている鎮守様も元々別の概念ではあるのですが、現在においては神社本庁と東京都神社庁のホームページを見ても区別されていません。)

 

幸いにもスサノオノミコト稲田姫様をお祭りしている神社は関東一円に多数あるため、住所バレの可能性を考えずに書くことが出来るのがとても嬉しいですね。一方で、鎮守様や他の御祭神様に関しては書くのを避けざるを得ないのが、非常に残念です。

 

 

5.稲田姫様にお祈りする

ここまでは稲田姫様の御話をしてきましたが、参拝の話に移りましょう。

 

神社に参拝するということは、しんどい時にはとても良いものです。

例えばあなたが神社に救いを求めて参拝するとき、家の目の前に神社があるということはほぼ無いでしょう。そう、つまり自然と散歩することが出来ます。

 

散歩が非常に精神健康に良い趣味であるということは前編[6]で述べた通りです。

 

また、実際に神社にたどり着けば、御社だけの小さい神社だと難しいですが、神社には大体ある程度の領域が確保されており、自然豊かな状態にとどめ置かれていることも多いです。

そうした緑や鳥の鳴き声等の自然を感じ、どこか清浄な空気を清々しく吸い込むことも出来ます。

適度に管理された自然が健康に良いのは、まぁ、自明ですよね。

 

そして、参道を歩んで御手水を済ませれば、いよいよ参拝です。

 

神様は、残念ながら基本的にはお返事をくださいません。いえ、もしかしたらくださっているのかもしれませんが、我々の耳には聞こえません。

ですが、我々から心の中で話しかけることは容易です。そして、かかる費用はニコニコ現金5円玉からでOKです。

 

心がしんどい時は、誰しも人にすがりたくなるものです。

しかし、しんどすぎるときほど、身近な人にすがるのは気が引けるものです。

残念ながらその身近な人自身を不安にさせてしまう可能性や、心配をかけたくないという気持ち、時間を取って迷惑をかけたくないという気持ち等から、なかなか話せないこともあります。

 

あるいは、すがるべき近しい人が身近にいないこともあります。

たまたま信頼できる人が身近にいない状況で、話したら陰で何を言われるか分からなそうな相手しか居ない時。

あるいは、引っ越したばかりで電話とかをしないと話せないけど、突然電話をかけて良いほど仲の良い人が居なかったり、予定を組んで電話をかけるほどの気力が無かったりする時もあります。

 

しかし、神様はいつもそこに居ます。

重たい身体を引きずって、何とか神社にさえ辿り着ければ、いつもそこに居ます。

 

そして、どのくらい話せばよいか時間を気にすることも、内容を気にする必要もなく話しかけることが出来ます。どんなに守秘義務があろうと、例え国家機密であろうと内心で神様にペラペラと話す分には、声に間違えて出してしまわない限りは問題にはなりません。

 

そして、自身の内心をそうやって整理すること自体が落ち着くことではありますが、加えて幾らすがろうとも問題ありません。

神様とは、むしろ縋られるべき方々なのですから。

 

今年は随分と神様に助けられました。

辛い現状から、将来の不安。自分ではもはや何が最適解かも分からなくなって久しく、どうすればよいか分からないことも全部神様に吐き出して、嘆いて、縋りつきました。

 

人間は我が侭なもので、最終的に首の皮一枚つながった時も、最初はもはやしんどすぎて喜べず、「神様の良い進路をお選びください」と思考放棄していたくせに、結果が出てみたら途端に「なんでこっちを選んだのですか。もうどうすればよいか分かりません」と神様を責め立てる始末です。

 

ですが、神様は逃げません。

どんなに理不尽なことを申し上げようと、破壊活動のような実力行使に出ない限り、人間と違って離れて行ってしまったり、問題になってしまうこともありません。

何なら、特段天罰が下ったりするようなこともありませんでした。御心がとても深いのですね。落ち着いたころに謝りに行きました。

 

余談ですが、だからこそ思います。

稲田姫様に叱られるから」っていうけど、本当に叱られるんだろうか。

もしかすると、「叱られる」というのは案外思い込みだったり、あるいは「叱咤激励」の「叱」なのかもしれませんね。

 

余談はさておき、自分の思いを吐き出す、というのも良いことです。

残念ながら本来的なコミュニケーションの観点からの効果は得られないかもしれませんが、それでも抑えていたものを放出するという観点や、あるいは外部化[7]の観点からは効果があるかもしれません。

 

そして、「マインドフルネス」の観点からも、きっと良いものでしょう。

 

前編では「マインドフルネス」を、禅宗の「正念」の概念から派生したエビデンスを伴う最先端の心理療法の1つであり、「今ここでの経験」に「判断等は加えず」「注意を能動的に向けること」であると紹介しました。

 

「念」という漢字自体が「今」と「心」の組み合わせであり、まさにマインドフルネスそのものの概念な訳ですが、「祈念」とか「念仏」という言葉があるように、「祈る」という行為もまさに「念ずる」ことに他なりません。

 

「今ここで考えていることを」「考えている内容自体へ判断を加えず」「それを祈ることだけに専念している」。

 

まさに、マインドフルネス的な行為に他ならないと、私は思います。

 

また、御守というものも非常に良いものです。

幾ら日参していたとはいえ、当然時間の無い日も幾らでもあれば、しんどすぎて最早気力が湧いてこない日もあるものです。

 

そんな時、忘れかけていた御守を出してきて、それに向かって無心に祈ると少し救われたような気分になったのを覚えています。

守られている、という感覚も優しいものがあり、これからは何か大切な時は御守を持っておこうと思わされる程度には安らぐものがありました。場所も取らないことから、ライナスの毛布には最適かもしれません。

 

ちなみに御守は、子供のころから持っている思い入れのあるものだとかを無理に返す必要は無いとされているものの、厳密には一年に一度返納して交換していただくものです。

そのため、後日時間のある時に、御返納して改めていただいてくることとなりました。

 

また、私自身は七五三の時の御守りや鎮守様の御守り、崇敬神社の御守りなど幾つかお守りを持っていますが、一方で幾つも持つと神様が喧嘩して良くないという俗信が存在します。

しかし、神社本庁のホームページ等によってこれは否定されています。

そのため、もしも謙虚な心で御守りをいくつか持つのならば、それは問題ありません。

 

あなたも神社への参拝を、日常の習慣として始めてみませんか?

 

 

6.神社こぼれ話

そんな感じで何とか隙間時間を見繕ったりしながら可能な限り神社へ参拝してきたわけですが、そうしていると不思議なことがあったりします。

 

例えば、ある日いつも通りスサノオノミコト稲田姫様の神社に参拝してお祈りしてから帰ろうとすると、猫がお散歩していました。思わず童心に帰ってついて行くと、神社の見たことも無いところに入っていきます。よく見ると、参道が続いていたのです。

 

しかし、非常にわかりづらく一見来るもの拒むような場所であり、そもそも立ち入ってよい場所かもわからず諦めていたら、一週間後くらいに参拝客のお婆さんがその領域に入ってゆくでは無いですか。

もしかして、と思ってお婆さんが出てきた後にそっと入ってみたら、なんと小さく隔離されたような別世界がそこにはありました。まるで、ゲームの隠し部屋にでも紛れ込んだような、どことなく狐につままれた気分です。

 

意味もなく「ああ、神様に認められたんだな」と思った記憶があります。

実際、参拝客の中には先に気づいておらず手前の神社だけを拝んで帰る人も多く、地元の人っぽい人ですら知らずに帰っているのを見かけます。何とも驚いたものです。

 

稲田姫様は、案外悪戯な御方なのかもしれません。いえ、悪戯な御方という意味では、主神様のスサノオ様なのかもしれませんが。

 

また、不思議なことに鎮守様の方にも隠しステージが存在します。

こちらも神社の中にある他所の神社の分社までは分かりやすいのですが、更に裏手にもう一つ御社があることは全然知られていません。ある日、突然気が付きました。

よくよく見ればきちんと裏手への道に「御参道」と、入ってよいことを示す石が立っているのですが、読みづらいので注意してみないと気が付きません。

最初は道が細いことから、多分普通に神社の人が拝殿裏の本殿を管理するために存在する道かと思っていましたが、実は違いました。

やっぱり、小さな別世界がそこにはあります。

 

更に不思議な話を続けると、ある日そちらの分社を参拝していた時に、なんとなく「帰らないで」と言われた気がしたことがありました。

自分もどうかしているなぁ、と思いつつ、急がない日だったのでもう一度引き返して参拝して今度こそ帰ろうとすると、ふと後ろを向いたときに小さな子供が隣とを隔てる弊の隙間から顔を出しているのを見つけました。幼稚園児位の子です。

 

興味津々で男の子は「どうやってそこに行くの?」と尋ねてきました。

しかし、道が悪いので誤魔化して帰ろうとすると、なんと男の子は塀の隙間を潜り抜け、内側に入ってこようとしています。しかし、塀と地面の間は男の子の身長よりも高さがあり、下の状態は芳しくありません。

 

これを止めるために引き留められたのだな、と思いました。

自分が居なければ、男の子は誰にも尋ねることなく、最初から無理やり入ってきていたに違いありません。怪我が無ければ良いのですが、もしかしたら、下が危ないので怪我をしていた可能性も否定できません。

 

結局は煩悩して危険な入り方をされるよりはと彼の御友達もろとも表側の参道から案内したうえで、指切りげんまんで親に話すことや大人と一緒に来るように教え込みました。

 

また、神様なりの援護だったのか、坊やが突然「風邪は天罰から始まった」とコロナ時代に意味深なとてもスピリチュアルな主張をしているのにかこつけて、「神様の前で指切りげんまんしたのを破ったら天罰が下るね」と言ったら2人そろって顔を引きつらせていたので大丈夫だとは思うのですが、念のためにそういうことがあったことを宮司さんにも報告して終了となりました。

 

その後何かあったという風聞も無いので、きっと正解を引き当てたのでしょう。

 

ちなみに余談ですが、別れ際に子供たちに「バイバイ、ギラティナさん」と言われたのが未だに面白いと思っています。ギラティナとはポケモンの、鏡の中の反転世界の主ですから、彼らから見てもやはりあそこは、一種の別世界だったということなのかもしれません。

 

少し科学とはかけ離れた感じになってしまいましたが、そんな感じで日常に新たな発見があったり、神社へ行くと面白いことがあります。

 

そして、特に稲田姫様がいらっしゃる神社なら、悪戯なスサノオ様が貴方に素敵な、特別な体験を何か用意しているかもしれません。

だから――、是非皆さんにも神社へ足を運んでもらいたいと思っています。

 

さぁ、現実の中の神秘の世界へ飛び込んでみませんか?

 

 

 

 

[1] 一般的にはコミック・マーケット等に、同人ゲーム「東方Project」関連の創作物を出展している同人サークルを指すが、GUTは大学のサークルとしての面が非常に強い。

[2] 東方Project内のゲーム「東方風神録」に登場するキャラクターの氏名。一番最初のボスであり、妹の「秋穣子」のテーマ曲が「稲田姫様に叱られるから」という名前の、非常に店舗が良く明るい曲。

[3] 東方Projectは2次創作が盛んな分野なので、元々の作者が作ったゲームや書籍は「原作」と呼ばれる。

[4] スコア・アタックの略。点数が高いほど強い。国内一桁レベルの人が居たりして怖い。

[5] ゲームの最高難易度「ルナティック」をプレイできる人たちの称号。

[6] ウォーキングという行為自体が抑うつ症状には良いということや、あるいは途中で他人の家の前なり何なりに植わっていたりする草花を見ることが可能であり、昼間であれば太陽光を浴びられること、余計な情報がシャットアウトされることなどによります。

[7] 前編の、不安でたまらないときは書きだすと外部化されて良いよという話から。